祝! 第20回:『歯と爪』(執筆者:加藤篁・畠山志津佳)
第20回『歯と爪』——嬉し恥ずかし、魅惑の袋綴じ
全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
加藤:早いものでもうすぐ11月。年末恒例のミステリーランキング予想が囁かれはじめ、翻訳ミステリー大賞も一次投票を呼びかける記事が掲載されたりと、なんだか少しずつ慌ただしくなってまいりました。読書の秋とはよく言ったもので、読書系イベントが目白押しの今日この頃。この原稿が掲載される頃には季節外れのルメートルが上陸して話題になっているのではないでしょうか。(台風みたいに言うな)
また、各地の地方読書会も盛況で、新たな読書会が各地で準備中とのこと。
それにしても、このところの読書会の盛り上がりは凄いですね。いよいよ海外へ進出という噂も聞いておりますよ。これからも、もっともっと海外ミステリー読者の裾野を広げるために、初めての人が気軽に参加できて楽しめる雰囲気作りをしなくてはと暁に誓うのでした。(夜中だけど)
さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」も今回で第20回。今回取り上げるのはビル・S・バリンジャー著『歯と爪』。1955年の作品で、こんな話です。
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奇術師のリュウは、田舎から体一つで飛び出してきたタリーと出会い、恋に落ちる。やがて妻となりステージの助手となったタリーだが、彼女には何か秘密があるらしい。一方、ニューヨーク地方刑事裁判所では、奇妙な殺人事件の審理が行われていた。遺体はなく、あるのは現場に残された義歯と脛骨、切断された指などの状況証拠のみ。一見、検事側に不利なものにみえたが、証人たちによって語られる話は、すべて一つの方向を指し示していた。“罪体”のない殺人事件の行方は……。
著者ビル・S・バリンジャーは1912年生まれの米国の作家。1980年に亡くなっています。ラジオやテレビドラマ、映画の脚本家としてのキャリアを築く傍ら、1948年にシカゴの探偵バー・ブリードを主人公とするハードボイルドを発表。そして1950年には『煙で描いた肖像画』を発表し、ミステリー界で一躍注目を浴びました。
この作品はいわゆる「カット・バック」と呼ばれる、映画でよく用いられる手法が使われているのが特徴です。一見無関係な二つの話を代わる代わる描きながら、最後に意外な形で結びつける。そして、それは本作『歯と爪』にも効果的に使われています。
しかし本書『歯と爪』の一番の特徴は何と言っても「返金保証システム」でしょう。最後の数十ページが袋綴じになっており、その表面には「これから先を読む気がしないという読者は封を切らずに出版社に持参すれば返金します」という自信満々のコメントが。そして、このシステムは創元推理文庫の『歯と爪』にもそのまま採用されました。
「袋綴じ」について、僕らの世代に共通するイメージはドキドキとガッカリが複雑に入り混じったほろ苦い想い出ではないでしょうか。
GORO、スコラ、平凡パンチ、プレイボーイと、思わせぶりな袋綴じの中身をドキドキしながら覗いたあの頃。中学、高校の頃は誰かの兄貴のお古を回し読みだったので、ついぞ袋綴じの封を切るという栄誉に預かる機会は無く、それだけに憧れは募りました。今でも喫茶店においてある週刊誌の袋綴じの封が切られてなかったりすると、それだけでドキドキしちゃう。
しかーし、その袋綴じの中身はといえば、大抵は思ったほどでもなく、というか「想像以上」であったためしはありません。
期待し過ぎちゃダメだと分かっているのに、毎回同じことを繰り返してしまうのですね。
そんな複雑な思いが入り混じる魔法の製本システム「袋綴じ」ですが、ミステリーにおいてのその意図は、僕らのスケベ心や射幸心を煽っているわけではありません。
「ここにスッゴイ意外なオチが隠されていますよ!」という宣言なわけです。
とはいえ、ちょっとは何かを期待しちゃうのが男心。今回も緊張しながら、やけに丁寧に封を切りましたとも。
それにしても、僕らはどうして袋綴じの封を切るとき固唾を飲み、姿勢を正してしまうのでしょうね。でも、これって僕がスケベなのではなく、日本人のDNAに深く刻まれた何かのせいだと思うのです。切腹の様式美みたいな。
そして、結論をいえば、本書『歯と爪』の袋綴じの中身は鼻血ブーなグラビアではありませんでした。はっ、これってネタバレ!? またやっちゃった?
畠山 :熱い(そしてやや鬱陶しい)「袋とじ理論」、ありがとう。気は済んだ?
さて、『歯と爪』です。もちろん初めて読みました。
プロローグの「まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐をなしとげた。第二に彼は殺人を犯した。そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである。」
もうここで期待しまくりですよ。ジャプリゾ『シンデレラの罠』の「わたしはこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」を思い出しました。
謎に包まれた法廷劇から始まり、最後に控えるのは袋とじ……これで高揚するなという方がムリってもんです。
法廷劇特有の丁々発止を楽しみ、二人の男女の話にヤキモキし、「歯」はわかったけど「爪」はいつ出てくんねんとツッコみつつ、いよいよ佳境の袋とじ。
余談ですが原題「The Tooth and the Nail」が「手段を尽くして」とか「必死に」という意味だということをlong long ago デス・スターが建設されてた頃に習った気がするのですが、きれいさっぱり忘れていて戸川安宣さんの解説でようやく思い出しました。これをわかってないとずっと「爪がそんなにでてこないのになぜ」と変な消化不良を抱え続けることになりましたよ。ああ、恥ずかしい。
そしてラストまで読みきった私の感想は「これは恋愛小説だー!!」。
恋愛模様がこてこてに描かれているわけではありません。でもこの事件のベースになるのは1人の男性の切ない恋のお話だと思います。ラストシーンのほろ苦さは素晴らしい。ちょっと泣きそうになりました。私自身はあまり運命論者ではないつもりですが、ラストのエピソードでは「奇術師がそのテクニックを使ってなにかをした」のではなく「なにかを為すために奇術師になる運命だった」と考えたほどです。
奇術師といえば、アメリカの小説によくでてくるのがフーディニの名前です。1874年ハンガリー生まれのユダヤ人で脱出系のマジックを得意とした当時のアメリカの大スター。インチキ心霊術のトリックを暴いたりもしたそうですから、まさにヒーロー的存在といえましょう。
プロローグで「(フーディニなどが)試みなかったような一大奇術をやってのけた」と語られたら、アメリカ人は超ワクワクしちゃうんだろうなぁ。
私も子供の頃、引田天功の大脱出と川口探検隊はテレビにかじりついてみていたっけ。未だに黄金の蛇とかいうと妙にテンションあがるもの。金運よさそうだし。
加藤:カット・バックで語られるAパートは前述の現在進行形の法廷劇。遺体がなく状況証拠だけという検事側にとっては苦しい状況ながら、弁護人を徐々に追いつめてゆきます。
そしてもう一つのBパートは奇術師リュウの一人称で語られる、おそらくは少し過去の話。彼と最愛の妻タリーとのなれそめと新婚生活が瑞々しく描かれます。
この二つのパートが交互に描かれてゆき、最後に結びつくんだろうなというのは想像できるのですが、どんな風にクロスするのかは袋綴じを破るまでサッパリ分からないところがファンタスティック。
まあ、自分で言うのもナンですが、僕ってムチャクチャ理想的なミステリー読者だと思うのです。大抵、作者が意図したように驚かされ、騙される。伏線と中央線の違いもよく分かってないみたいな。
そんな、箸より重いものはトリスのジャンボボトルくらいしか持ったことのない、育ちが良くて心の清い僕のような読者に袋綴じはあまり効果的とはいえません。
解説で戸川さんも書いている通り、本書の袋綴じはガシェットとしては面白いけど、それが全てでは決してなく、むしろカット・バックで描かれる二つの大河が音をたてながら合流してゆくような見事なクライマックスは予断なく読みたかったという気さえします。
ところで、畠山さんがプロローグについて書いてたけど、その出だしは「彼の名はリュウ。姓は、あとになってから一度だけ重要な意味を持つことになるが、ここで触れる必要はないだろう。」で始まるのですが、結局この「重要な意味」が分からなかったなあ。畠山さんはわかった?
畠山 :あ! それ全然わからなかった! (もしかして私たちバカコンビ?)
それに「第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである」っていう一文もいろいろ解釈の仕方があると思わない?
読書会で取り上げられたらぜひ他の人に訊いてみたいね。
法廷での「罪体のない事件の立証」の無理やりっぽさとか、ホントにあれで犯罪がうまくいくのかとか、ツッコミも含めてたくさんの意見がでそう。
というか、今までこの本が課題書に選ばれてなかったことの方がフシギかも。
加藤さんと同様、私もこの本は袋とじにしない方がいいように思います。謎めいた語りのプロローグ&カットバック手法&袋とじのまるで「ガチミス三種の神器」みたいなアイテムが揃っているのでいかにもトリッキーな推理小説の印象が強いのだけど、読みどころは運命に翻弄された男女や、手元足元が不確かなまま法廷でせめぎあう人々のドラマの方じゃないでしょうか。
袋とじにすることでこの作品をトリック重視の犯人当て小説と思って敬遠している方がいるかもしれないし、逆に驚天動地の種明かしに期待を大きくしすぎるとやや物足りなさを感じるかもしれない。いずれにしても勿体ない話です。
それに私は電子書籍歓迎派。電子版には使えないですよね、袋とじ……はっ! まま、まさかのアプリ内課金……(いろいろ想像して気が遠くなりかけている)
あの袋とじは「あっと驚く解決編」ではなく「お話を最後まで知りたいでしょ? ここでやめることはできないでしょ?」というちょっと悪戯めいた作者の声、と私は解釈しています。皆様はどう思われるでしょうか?
千里の道も一歩から。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』のうち、今回で20作品クリアです。『歯と爪』の戸川安宣さんの解説の中に、今までに取り上げた作家の名前——F・ブラウン、マクロイ、アイリッシュ——がでてきて、おお全部読んだぞ! と少し嬉しくなりました。
次は3合目を目指して底抜け脱線コンビで頑張ってまいりますので、今後ともご贔屓に。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
バリンジャーの名前を見て時計マークを思い出すオールドファンは多いのではないでしょうか。倒叙や裁判ものなどの変則的な作品を創元推理文庫では時計マークで括って収録していたのでした。もう一冊創元推理文庫に入っていたのが『赤毛の男の妻』で、これはもともと創元クライムクラブに入っていた作品の文庫化です。クライムクラブの植草甚一解説がそのまま入っているのですが、小説のフィニッシング・ストロークにあたる部分を思い切りネタばらししているので、ファンの間では地雷として有名なのでした。これから読まれる方はご注意を。そして『赤毛の男の妻』についての考察は『路地裏の迷宮踏査』所収のバリンジャー小論もぜひ参考にしていただければと思います。
一昔前では考えられないほどバリンジャーの翻訳も増えました。この作家についてはまだまだわかっていないことも多く、カットバックなどの技巧の側面からだけではなくて、内面についてももう少し掘り下げていく必要があると考えています。『歯と爪』もそうなのですがハヤカワ・ミステリ文庫に入った『消された時間』などを読むと、かなり熱い魂の持ち主であり、倫理観の真っ当さに胸を打たれることがあります。世評の高い1950年代だけではなく、60年代以降の作品も読んでみたいですね。
さて、次回はパトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』ですね。楽しみにしております。
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加藤 篁(かとう たかむら)
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato
畠山志津佳(はたけやま しづか)
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N
どういう関係?
15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。
●「必読!ミステリー塾」バックナンバーはこちら
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