第74回『極大射程』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)

—— プロの仕事は段取り八分!


全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:厄介なウィルスのおかげで、中止になるイベントが多くて残念ですね。札幌は名物の大通ビアガーデンが中止になってしまい悲しいかぎりです。コロナめ、いつまでも調子にのってんじゃねーぞ、来るなら来やがれ撃退してくれるわと日々たくさん食べてたくさん寝ています。それにしてもあのゴルゴ13までが休業の憂き目にあうとは驚きました。ゴルゴは持続化給付金もらえるのかな?

 さて、スナイパーの日本代表がお休みの間は、偉大なるアメリカ代表に楽しませてもらうとしましょうか。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今回のお題はスティーヴン・ハンター『極大射程』です。来た! ボブ・リー・スワガー! ヒャッホー! あ、失礼、つい興奮してしまいました。1993年の作品です。

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 ベトナム戦争で活躍した伝説的狙撃手ボブ・リー・スワガー。戦地で心身ともに傷を負い、今はアーカンソーの山奥で銃と犬だけを友として暮らしている。ある日、彼の元に二人の男がやってきた。最先端技術で作られた弾丸の試射をしてもらいたいという。うさんくさいとは感じたものの、弾丸のできばえに惹かれてスワガーは依頼を受ける。難しい条件の試射を圧倒的な技術で次々に成功させていくが、その時すでに、彼は周到に仕組まれた罠に足を踏み入れていたのだった。

 スティーヴン・ハンターは1946年カンザスシティ生まれ。児童書作家の母親の影響なのか、幼いころからものを書くことに興味があったようです。ノースウェスタン大学でジャーナリズムの学位をとった後、《ボルチモア・サン》紙、《ワシントン・ポスト》紙で主に映画批評を担当。2003年にはピュリッツァー賞の批評部門を受賞しています。彼の映画評やそれにまつわるエッセイは残念ながら邦訳されていませんが、機会があれば読んでみたいものです。小説では一貫して「銃器で戦う男」を描いている人だけに、ディズニーとか恋愛映画も観るのかしら? などと要らん疑問を抱いたりしてしまいます。

 小説家としては、ナチスの狙撃手を主人公にした『魔弾』(改題『マスター・スナイパー』)で1980年にデビュー。ノン・シリーズを数作発表したのち、スワガー・サーガの第一弾『極大射程』をドカーンと送り込んでくれたわけです。本作は2007年に《ザ・シューター/極大射程》として映画化されました。主役を演じたマーク・ウォールバーグは、のちにテレビドラマ版に製作総指揮としても参加しています。

 確かこの本は、発売された時に加藤さんが勧めてくれたと記憶しています。銃器のうんちくにちょっと引くかもしれないけど、そこに興味がなくてもじゅうぶん楽しめると太鼓判を押してくれたっけ。それから20年経っての再読です。恥ずかしながら「凄腕スナイパーのスワガーがバッタバッタと敵を倒してすげー面白かった」というざっくりな記憶しか残っていなくて、再読とは思えないほど新鮮に楽しみました。闇の組織とスワガーの追いつ追われつのシーソーゲーム、何度も訪れるクライマックス級の銃撃戦、加えてコン・ゲームの要素もあって、とにかく最初から最後までずーーっとハラハラドキドキが止まらない。

 そして読みながら思い出しました。主人公スワガーもさることながら、私はFBI捜査官のニック・メンフィスが好きだったんだ! すごく能力があって性格もいい人なのに、いざという時に必ず貧乏くじを引いてしまうという愛すべきキャラ。自身の誤射で半身不随にさせてしまった女性を妻にめとり、彼女が息を引き取るまで愛し続けた誠実な男。

 そもそもは要人狙撃犯の疑いをかけられて逃走するスワガーを追う立場だったニックですが、いつの間にやらスワガーのバディのようになっていきます。火薬と血の匂いに満ちたお話の中で、お人よしで真っ当なニックの存在は心のオアシス。スワガーのビリビリしたストイックさと、ニックのふんわりやんわりが実にいいコントラストなのです。

 加藤さんはどうかな? やっぱりニックの方に気持ちを寄せやすかったりしない?

 

加藤:世界がコロナの出口を模索しはじめた今日この頃。発表された「新しい生活様式」を読むといろいろ考えちゃいますね。もう二度と以前のような距離感で人と接することはできないんじゃないか。映画のキスシーンはすべてCGになったりして。なんだか急に《ニュー・シネマ・パラダイス》が見たくなってきた。

 ああ、何かスカッとするようなことないものか。まだ外には出づらいし、読むと気持ちが晴れるような本があればなあ。―――そんな皆様にお薦めしたいのが、今回の課題本であるスティーヴン・ハンター『極大射程』。出口が見えない絶体絶命の窮地から何度もよみがえる、まさに今の時代を生き抜く勇気と希望にあふれた物語です。

 さて、その『極大射程』の登場は当時ひとつの「事件」だった気がします。冒険小説不毛の時代に現れた一番星の桃次郎(<ほかに表現がなかったんか)。歴史の教科書に載せてもいいレベルだとすら思います。

 スティーヴン・ハンター作品は『極大射程』以前に5作が邦訳出版されており、ボブ・リー・スワガー・シリーズも『ブラックライト』のほうが先に出ていました。翻訳の順番が前後することはとくに珍しいことではありませんが、『極大射程』の価値は「傑作シリーズの1作目」というだけでなく、この作品自体がシリーズの魅力のすべてが詰まった恐るべき傑作だということでしょう。カッコいい冒険小説でありながら、キレッキレのツイスターでもありました。

 ついでながら今回の再読にあたり、新しくなった扶桑社文庫版で読もう(きっと字が大きくなっているに違いない)と思ったのに、全然手に入らなくて苦労したことを、新型コロナ禍の記憶の一つとして書き留めておきたいですね。

 地元の本屋さんにはどこにも置いてなくて、仕方なくAmazonに注文したものの待てど暮らせど届かない。品切れでもないのに。で、仕方なく新潮社文庫版を引っ張り出して読みました。そして読み終わった頃に届くという。お前はアベノマスクかい。

 すっかり忘れてたけど、これって僕が畠山さんに紹介したんだっけ。確かに何から何まで畠山さんが大好きなやつだよね。ドカーンバキューンでバディもの、犬もでてくる。なんて分かりやすい人なんだw スワガーは超人過ぎて、人間味溢れるニックに惹かれる気持ちもよく分かる。

 あ、そういえば映画みた?  設定がいろいろ変わっていたりもするけれど、スワガーの愛犬を見るだけでも価値があるよ。

 

畠山:バディもので胸熱、犬で心震えるのは人として正しいと思う。ロバート・クレイスのファンはわかってくれるはず。(翻訳ミステリー読者賞受賞おめでとうございます!)

 映画ですが、実はマーク・ウォールバーグという配役がどうもピンとこなくて敬遠してました。いい機会なので先日視聴しまして、思ったより悪くなくてホッとしたのが正直なところ。かなり頑張って原作要素を盛り込んでいたと思います。

 確かにわんこは最高! 冒頭しか出番がないけど、ハートを鷲掴みされました。原作ではマイクという名前ですが、映画ではサムになってましたね。多分、映画には登場しないスワガーの旧知の弁護士サム・ヴィンセントの名前をスライドさせたのでしょう。映像化で端折らなきゃならないのは重々承知ですが、彼がいないのは残念だった。

 なぜかというと、派手なドンパチシーンが繰り広げられる本書ですが、〆は意外にも法廷劇なんですね。そこでこの老獪なる弁護士サム・ヴィンセントの出番となるわけです。見た目はヨタヨタですが、頭のキレと眼力の確かさは一級品。スワガーとは長い付き合いで、彼の立場がどれほど悪くなっても、ゆるぎなく信じ続けてくれた人です。

 全編を通して、「狙撃」という行為のデリケートさ、そして徹底的な事前準備なくして成功はないということが語られますが、その真髄が最後の法廷の場で明らかになります。一瞬ポカーンとしてしまうほどのあのドラマチックな幕切れ! 上下巻の長旅をしてきてよかったと涙ちょちょ切れそう(死語?)になりました。スワガーとサムの役者ぶりには脱帽です。

 そんなわけで『極大射程』はいろんな要素てんこ盛りの超贅沢、超骨太な逸品なのであります。ぜひぜひ「読まずに死ねない」リストに追加なさってくださいませ。

 そうそう、翻訳者の染田屋さんは編集者でもありまして、紆余曲折荒波大波を乗り越えて、私たち翻訳ミステリファンにあの 、アンデシュ・ルースルンド とベリエ・ヘルストレム の『三秒間の死角』を届けて下さったのでした。こちらも『極大射程』に負けず劣らずの大傑作。ありがたすぎて染田屋さんにはなんとお礼を申し上げてよいのやら。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

加藤:第11回翻訳ミステリー大賞はルー・バーニー『11月に去りし者』が受賞しましたね。こちらはJFK暗殺に絡む、しみじみ渋カッコいいクライムノベル。よくよく考えると『極大射程』とは似た題材を扱っていて、「大統領暗殺」「罠にハメられ追われる主人公」「犬」と共通するキーワードも多いのに、少しも似ていない。未読の方は是非どうぞ。

『極大射程』はエンタメとして素晴らしいのはもちろんだけど、狙撃手という仕事や銃器に関するディティールがリアルで、ハウトゥー本、ウンチク本としても面白いのがお得ポイントです。将来、狙撃兵か殺し屋になりたいと思っている方はまさにマストリードの一冊と言えるでしょう。

 本作には1,400ヤードを超える射撃をする場面が複数回登場します。成功させられるのは「世界で一人か二人」という常識外れの距離。そして、それくらいの超長距離になると、重力や温度湿度、風はもちろん地球の自転をも計算に入れなければいけないというから驚きです。想像を絶する緻密な世界。そして、それら全てを制御するのがあくまで人間というのが凄いところ。そんな超人的な計算能力や身体能力のほか、条件が揃うまでずっと同じ体勢で待ち続ける忍耐力とか精神力が求められるのが、スナイパーなのですね。

 そして、もしかしたらそれらよりも大事かもしれないのが段取り力。常にいろんな事態を想定して準備しておく能力と言いましょうか。狙撃場所とタイミングの選定から、脱出ルートの確保(これが一番大切らしい)まで。少しの手抜きも許されない。何事も段取りが大事と思い知らされます。

 ぶっちゃけ僕は銃器全般に全く興味がない(というか、むしろ嫌い)なのですが、それでも、この『極大射程』の面白さを否定のしようがありません。失敗の許されない乾坤一擲の一撃を追体験するような、緊張とワクワクがとまらない幸せな読書時間を堪能しました。

 こんな時期にこそスカッとする極上のエンターテイメントを是非お愉しみください。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

『マストリード』には刊行時期の都合もあって冒険小説、活劇小説が少ないのですが、マーク・グリーニーの活躍もあって現在はだいぶ持ち直したような気がします。そうした中で当時さすがと思ったのは、スティーヴン・ハンターが途切れずにずっと翻訳されていたことでした。第一作である本書が1993年の発表ですから、もう四半世紀以上にわたって書き続けているわけであり、それが絶えずに邦訳されているという事実も大きい。ガンアクションの好きな読者以外にも訴求できなければシリーズ継続は難しかったでしょう。そこまで高い人気を維持し続けているのは、なんといってもボブ・リー・スワガーというキャラクターの造型にあると思います。単純熱血気質の正義漢ではなく、孤独な狙撃手らしい癖のある人格にしたこと、ヴェトナム戦争帰りという過去を背負わせ、零落した英雄が自らの技能を頼りに人生を取り戻すという再生譚として本書を始めたこと、すべてがしかるべきところに嵌まっています。主人公への関心を読者に起こさせずにはおかせません。『マストリード』に収録した百冊のうちでも抜きんでたヒーロー小説だと思います。

本書に始まるボブ・リー・スワガー・サーガは第三作『狩りのとき』で一旦決着し、父であるアール・スワガーを主人公にした三部作が『悪徳の都』から始まります。ここでシリーズを膨らませているのが巧い。ちなみに2000年の『悪徳の都』と2017年の『Gマン』は後に内容がつながってスワガー一族の物語を補完するという伝奇小説としては理想的な続き方をしています。そうか、伝奇小説家なのか、ハンターは。もともとは2013年の『第三の銃弾』で書かれるはずだったJFKネタを第一作用に準備していたといいますし、実際の歴史を織り込んで虚実の皮膜を曖昧にしながら物語の幹を太くしていく稗史小説の書き方をしているわけですね。そりゃおもしろいと言われるわけだわ。

今でも覚えているのはボブ・リーの復帰作『四十七人目の男』が出たときの騒ぎで、ご存じのとおりこれはスワガー版忠臣蔵で、日本を舞台にした怪作だったわけですが、どんなものでもスワガーなら赦すんだ、内匠頭殿に忠義を尽くすんだという赤穂籠城組と、こんなの書いちゃってもうおしまいだよハンターは、という離反組とがけっこう険悪な空気になったのでした。結局はそのあとに『蘇えるスナイパー』が出て、ああ、やっぱり大石内蔵助は偉いハンターを信じてよかった忠義ばんざい、みたいな結果になったのですが、ボブ・リーには銃を持たせたほうがいいですよね。しかし個人的には『四十七人目の男』は好きなのです。ロジャー・L・サイモン『カリフォルニア・ロール』ぐらい好きかも。

話が逸れましたが、そうした問題作も生みだしつつもつつがなくシリーズが継続していること自体が幹がしっかりしている証拠。本当に読み心地はヒロイズム溢れる伝奇小説なので(嘘じゃないです)ガンアクションものはあまり興味ないんだけどな、と思っておられる方にも試してみることをお勧めします。

さて、次回はジャネット・イヴァノヴィッチ『私が愛したリボルバー』ですね。これまた楽しみにしております。

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加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato


畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 


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