第82回『愛しき者はすべて去りゆく』(畠山志津佳・加藤篁)

——ボストンのアベック探偵


全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:最近、直木賞は馳星周さん、西條奈加さんと北海道出身者が連続受賞していてたいへん嬉しいです。馳さんはタメだし、西條さんは1コ上で同郷なので、なおのこと誇らしい。しかしなぁ、同年代の有名人が堂々たる風格を醸しているのを見ると、夜中にコンビニスイーツ食べながら「なう」とかツイートしてる自分に疑問を感じてしまう。いや、小市民には小市民なりの守備範囲ってものがあらぁな。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今月も等身大、小市民感覚でお送りいたします。お題はデニス・レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』。1998年の作品です。

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 4歳のアマンダ・マックリーディが行方不明となり、心配した伯父夫婦がパトリックとアンジーに調査を依頼してきた。警察が大がかりな捜査に乗り出している以上、私立探偵の出る幕はないと考えた二人だが、アマンダの母親へリーンが酒やドラッグの問題を抱えており、事実上の育児放棄であったことを知るにつれ、アマンダが不憫に思われ、調査に乗り出す。途中、風変わりなれど気のいい刑事コンビ、プールとブルサードと知り合い、4人は麻薬の売人や小児性愛者の情報を集めながら、アマンダの行方を追う。


 デニス・レヘイン? ルヘイン? と迷っていたら、「うぉっほん! 角川書店刊はレヘイン、早川書房刊はルヘインなのだ」と加藤さんがドヤ顔で教えてくれました。なるへそ。

 個人の感覚で恐縮ですが、どちらかというと「ルヘイン」に馴染んでいるので、以降は「ルヘイン」で統一させていただきます。角川書店さん、ごめんなさい。ついでにマシューはマコノヒーなのか、マコノヘーなのか、誰か教えて。

 というわけで、デニス・ルヘインです。小説の舞台になっているマサチューセッツ州ボストン・ドーチェスターの出身で……お!? 1965年生まれとな。なんだ、アンタもタメか!(急に馴れ馴れしい)

 フロリダ州エッカード・カレッジ在学中に書いた『スコッチに涙を託して』で1994年に作家としてデビューし、シェイマス賞の最優秀新人賞を受賞しました。この作品の主人公パトリック&アンジーはそのままシリーズ化され、今日のお題『愛しき者はすべて去りゆく』はシリーズ第4作となります。他には『運命の日』『夜に生きる』『過ぎ去りし世界』のコフリン三部作、ノンシリーズでは『ミスティックリバー』『シャッターアイランド』など、映像化されたものもふくめて、有名な作品ばかりですね。

 ルヘインの本は何冊か読んでいまして、お気に入りは『ザ・ドロップ』。犬好きのかたはぜひどうぞ。子犬にキュンキュンしちゃいますよ。200頁に満たないのに、めっちゃくちゃ内容が濃いので、お試しルヘインにはもってこいかと。

 しかし、この「パトリック&アンジー・シリーズ」は初めてです。本書以外は入手困難というのがイタイ(涙)。

 大きなテーマになっているのが「幼児虐待」。これは辛いですね。子供の虐待死が伝えられた時ほど憤りと無力さを感じることはありません。

 アマンダも享楽的な母親へリーンに放置される日々を過ごしていました。養育されない子供というのがどれほど不憫なことか。すっ飛んで行ってアマンダを抱きしめてあげたいと思いましたよ。そしてきちんと生きられないへリーンも心配。依存の強い彼女は、酒とドラッグだけでなくテレビ依存もヘビー級です。すぐそこに惨殺死体がある家の中でも、こともなげにテレビを見続ける姿——あれには背筋がゾっとしました。育児の前にまず彼女のケアが必要!

 多分このテーマだけでも尽きることなく話せそうですし、特にラスト、探偵の決断については、これアリ? ナシ? と片っ端から尋ねてまわりたい。おっと、そういえば名古屋読書会でこの本の読書会をしていたのでしたね。どれどれとレポート読み返したら、やだもう、3回くらいお茶噴いたわ。



第6回名古屋読書会レポート(前編)フリーダムにもホドがある。

第6回名古屋読書会レポート(後編)ボストンにもホドがある。

 レポートに書かれてたけど、加藤さんは結局プロローグとエピローグについては得心できたの?

 

加藤:アメリカの大統領交代のゴタゴタ、すごかったですね。議事堂襲撃、前任者不在の就任式、あんなものを子どもに見せていいのでしょうか。「喧嘩の唯一の必勝法は負けを認めないこと」っていうけど、スポーツを愛する者として、「グッドルーザーたれ」という言葉を、すべての子どもたちに伝えたいですね。悔しがる前に相手を称えよ。負け惜しみや言い訳はみっともないだけ。ん?  肋骨の骨折さえなければ南東京読書会の「おすすめ本バトル」で優勝間違いなしだった僕に何か言いたいことでも?

 さて、子どもといえば、今回の課題本は、デニス・ルヘインのパトリック&アンジー第4作『愛しき者はすべて去りゆく』。畠山さんが書いているとおり、この作品のテーマはアメリカにおける児童虐待問題です。出だしの一文がコレ。


 この国では、一日に二千三百人の子供の行方不明が報告されている。

 なかなか強烈です。

 4歳の女の子が失踪し、依頼を受けた私立探偵のパトリックとアンジーは警察と連携して捜索にあたることに。最初は乗り気でなかった彼らも、児童虐待犯罪対策班の二人の刑事、プールとブルザードの「生きて見つけるためなら何でもする」という狂気的にさえ映る熱意に引っ張られ、やがてチームは固い絆で結ばれてゆく。そして、彼らが行き着くところとは——

 爽快な読後感とは言えないけれど、「ハードボイルド」はもはや死語だと思っている僕でさえ、「これぞハードボイルド」と呼びたくなる雰囲気と貫録を感じさせてくれる名作です。ちょっと背伸びしていた感じのシリーズ初期より、4作目となりパトリックの一人称が自然で落ち着いてきたところもいい。そして相棒のアンジーの毅然としたカッコよさといったら。文体と雰囲気、そして主人公の生き方の三位一体がハードボイルドだと思っている僕にとって、まさにドストライクの一作です。

 この本は7年前の名古屋読書会の課題本。そして、忘れられないのが畠山さんにも突っ込まれているプロローグとエピローグの一件です。その時点で3度目の再読だったのですが、ここの意味が分からず、ずっと「これ要る?」って思っていたのです。この機会にと思い、参加者の皆さんに「なんでルヘインはこんな余分なものを入れたんでしょうね」って聞いたときの会場の静まり返りかたは、自分の唾を呑み込む音が響いて聞こえたほど。そして、教えてもらってビックリ。この話がより一層好きになったのでした。読書会すごい!

 てか、そういう畠山さんは分かっていたのかな? 正直に言ってみそ。

 

畠山:かばってやりたいけど、自分に嘘はつけないw

 プロローグで描かれる謎めいた女性レイチェルと、彼女が愛をそそぐ坊やの美しい姿。この母子はなぜ見知らぬ土地に身を寄せることになったのか。彼らの素性はラスト近くで明かされ、人間愛、覚悟、そんなものが伝わるエピローグへと繋がっていきます。レイチェルの強さと美しさにガツンとやられました。加藤さんにも伝わってよかったよ。大勘違いや見落としを教えてもらえるのは、読書会ならではです。

 名古屋読書会で、「狭いコミュニティでの人物配置がコージーっぽい」と指摘されていたように、いいやつも悪いやつも、もっと悪いやつも、パトリックとアンジーの知り合いという構図です。大都市ボストンの下町を知り尽くしているのが、探偵としての彼らの強みなんですね。足がすくむような“落ちぶれた白人のクズ向けのバー”で店主と堂々渡り合うところなんかは、さすがの一言。

 といっても強気一辺倒ではなく、繊細さも併せ持っているのが彼らの魅力。事件を通して心身ともに傷つく二人。でも、幼いアマンダと犯罪の犠牲になった無数の子供たちの存在が、彼らを立ち上がらせます。子供の死の現場に立ち会ったパトリックと刑事のブルサードが、“子供みたいに泣きじゃくって”いる姿は忘れられません。

 また本書では随所に過去の事件についての言及があります。彼らの歩みの一部を知ることで、シリーズに対してぐっと興味が湧いてきます。実は、探偵が恋人同士だと余計なロマンス描写で興が削がれそうと思っていたのですが、それはあまりにルヘインをナメてた。父親の暴力を受けて育ったパトリック、亡夫に長年苛烈なDVを受けていたアンジー、そんな彼らがどうやって明日を見出してきたのか。これはなんとしても遡って読まねばならぬと、勇んで古書店に行ったら、シリーズのうち2冊をGET! こいつは春から縁起がいい!

 そうそう、映画(原題そのままの《ゴーン・ベイビー・ゴーン》)もよかったですね。ケイシー・アフレックは小説で想像していたパトリックより少し若い印象だったけど、観ているうちにかなり引き込まれました。特にラストシーンは、読後の気持ちとぴったりだったなぁ。これでいいの? いいの? とパトリックに、自分に、世間に、問いたかった。

 

加藤:映画《ゴーン・ベイビー・ゴーン》は良かったよね。というか良すぎて驚いたよね。ベン・アフレックの初監督作。当初はベンが自分で主役のパトリックもやる予定だったんですって。とめてくれた人、ありがとう(心から)。

 確かに、「男女のアベック探偵ものに面白いものはない」というのをよく聞く気がするけど、パトリックとアンジーの関係はつねに物語と密接に関係して、浮いていないところがいいんですよね。恋愛と呼ぶにはあまりに人間の部分が剥き出しで痛々しい二人の関係は、本作のラストでみごとな効果を生み出すことになるのですね。ちなみにこの二人は共にバツイチで、パトリックの元嫁はアンジーの姉。アンジーの元夫はパトリックの親友。地産地消にもホドがあるだろ。

 また、シリーズ4作目である本作を最初に読んでもいいのか?  という疑問も当然あると思いますが、ノープロブレム。そして畠山さんのように、この作品で断片的に語られる二人の過去が気になったら過去3作もぜひ読んでみてください。

 児童虐待問題は、日本ではここ10年くらいで急に顕在化されてきた印象ですが、アメリカではずっと以前から、社会に周知される、身近で深刻な問題でした。当時、アンドリュー・ヴァクスなんかを読んでは、「アメリカはマジ病んでるな……」と心を痛めたものでしたが、いつのまにか他人事ではなくなってしまいましたね。

 本作『愛しき者はすべて去りゆく』で行方不明になるアマンダの母親であるヘリーンは、自堕落で自分勝手な母親の典型のように描かれていますが、彼女もまた親から虐待を受けて育ち、我が子の愛し方が分からない哀れな被害者でもありました。深刻な格差社会と密接に結びついた虐待の連鎖。日本がアメリカに追いついてしまったのかと思うと、気が重くなります。

 そして、ルヘインが本作の3年後に書いたのが、テーマが重なる『ミスティックリバー』。クリント・イーストウッド監督で映画化もされました。何とも言えない重くのしかかるようなあの余韻はどう表現すればいいのか。トライリンガルの僕の語彙力をもってしても、途方に暮れてしまいます(三河弁、遠州弁、標準語)。

 社会派エンターテイメントであり、最後のハードボイルドでもある本作は、様々なことを読者に問うてきます。法とは何か。正義とは何か。子どもの幸せとは。誰もが自分のなかにあるモワっとした、答えを出すことを避けてきたものと向き合うことになるはず。

 読み終わったらぜひ教えて欲しい。あなたはパトリック派ですか? それともアンジー派?

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 デニス・レヘインが1994年に第一作『スコッチに涙を託して』を発表したアンジー&パトリックの連作は、私立探偵小説が行き着いた到達点の一つと言うことができます。第一にこのシリーズは、現代の私立探偵小説が主人公のプライヴェートへの興味を中心に据えたキャラクター小説以外では成立しえないということを示した作品です。アンジーとパトリックは第一作からコンビを組んでいますが、私生活では各自にパートナーがいます。それが惹かれあい、ついに第三作『穢れしものに祝福を』で禁を破ってしまいます。第四作である本書は、公私ともに彼らが結びついた、連作の完成形なのです。そうした形で個人の内面を晒しているため、本シリーズは必然的に探偵が事件に動揺し、怒り、傷つくという視点人物自信の物語にならざるを得ませんでした。そうしたキャラクターの感情を通して事件に触れるという犯罪小説が、現在の私立探偵小説なのです。

 本書で児童虐待問題を扱っているように、現代アメリカが抱えている負の側面を毎回の主題としてレヘインは描き出します。アンジー&パトリックは、無力ながらその歪みに対し闘いを挑もうとします。これがシリーズの第二の特徴です。児童虐待問題は1980年代から浮上してきたアメリカ犯罪小説の重要なピースであり、作家が挑まざるを得ない課題の一つとなっていました。アンジー&パトリックは上にも書いたようにキャラクター小説の側面を割り切って強くした連作ですので、探偵が事件の関係者に加担し、共感するという形でこれを描いています。本書の翌年に第五作『雨に祈りを』を発表したあと、レヘインは11年間このシリーズを書きませんでした。2010年に発表された『ムーンライト・マイル』は本書の重要な登場人物であるアマンダとアンジー&パトリックのその後を描くという形で書かれた、シリーズの完結篇です。多数の登場人物の中から選ばれたアマンダ、そして主人公二人の関係に収束して連作を終わらせたことは、事件の傍観者としての私立探偵小説という様式ではすべてを描き尽くしたというレヘインのメッセージのようにも思えます。

 レヘイン作品の翻訳はこの後早川書房が受け継ぎ、ルヘイン名義での刊行となります。袋綴じで刊行されたことが話題を呼んだ『シャッター・アイランド』など、この名義で刊行された2000年代以降の作品のほうがミステリーとしては多様かつ技巧的であり、作家の成熟が窺えるのでぜひお読みいただきたいと思います。作家が選んだのはサーガでした。家族、あるいはグループの人間関係に着目し、時間の経過によってそれがどうなっていくかを描いていきます。それを一つの犯罪、あるいは犯罪組織との係わりを核にして展開していくのです。映画化された『ミスティック・リバー』や、史実に題材をとった『運命の日』など、重厚な物語はどれも読み甲斐があります。個人的に感慨深かったのは2018年の『あなたを愛してから』で、女性視点の恋愛小説として読めるような体裁をとっていながら、途中である事件が起きることでスリラーの性格が濃くなるという凝った趣向の作品です。作家の力量の高さはこの作品に明らかとなっています。

 さて次回はキャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』ですね。これまた楽しみにしております。

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加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato


畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 


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