第99回『自白』(執筆者:加藤篁・畠山志津佳)

—— ちょうどいいところで終わらない、それからの物語


全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


加藤:先週、映画館で『トップガン マーヴェリック』を観てきました。いやあ面白かった。作中ではロートル扱いのF-14トムキャットだけど、今見てもめっちゃカッコイイですね。ところで先週の国内映画興収、トップガンとウルトラマンとドラゴンボールとガンダムが上位って凄くない? 日本はどこかで時間が止まってる? と思っていたら、アメリカでは連邦高裁が「人工妊娠中絶の憲法上の権利を否定」という驚きのニュースが。もしかして人類は気付かないうちにピークに達して、退化を始めたのではと心配になります。中絶問題では、南部のオクラホマ州とテキサス州が(やはり)反対の強先鋒なのだとか。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」も第99回。今回の課題本はジョン・グリシャム著、白石朗訳『自白』です。保守的で知られるテキサス州を舞台に、アメリカが抱える様々な問題が描かれる、わりと最近2010年の作品です。こんなお話。

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 テキサス州のスローンでは、9年前に逮捕され過酷な取り調べに屈して犯行を自白し、強姦殺人の有罪判決を受けた黒人青年ドンテ・ドラムの死刑執行が間近に迫っていた。ドラムの無実を信じる弁護士ロビーとそのチームは、死刑執行を阻止すべく、望みの少ない戦いに最後の力を振り絞る。そして、死刑執行の3日前の月曜日、遠く離れたカンザス州の教会を仮釈放中の男が訪れる。ボイエットと名乗る男は牧師のキースに、自分こそがドラム事件の真犯人だと打ち明ける。自分は脳腫瘍で余命わずか、最後に正義を果たすべきか迷っているというのだ。話を聞くうち、それが真実だと確信したキースは……。


 著者のジョン・グリシャムは1955年生れのアメリカ人。ミシシッピ州立大学、ミシシッピ大学ロースクールを卒業。1981年から1991年まで弁護士として活躍、1984年から1990年まではミシシッピ州の下院議員もつとめました。1989年に『評決のとき』で作家デビュー。その後も『法律事務所』『ペリカン文書』『依頼人』などのベストセラーを連発し、それらの映画も大ヒット。現代リーガル・スリラーの巨匠としての地位を確立しました。また、私財を投じてリトルリーグの野球場を建設(その費用は十億円超!)するなど、篤志家としても有名なんだとか。

 最近では村上春樹訳で話題となった『「グレート・ギャツビー」を追え』やその続編『狙われた楽園』など、法廷モノではないサスペンスも書いていますね。

 さて、法廷モノ、リーガル・スリラーと言えば、このミステリー塾ではすでにスコット・トゥロー先輩の『推定無罪』を取り上げました。絶対的不利な状況から一つ一つ証拠を集め、状況を覆してゆく様はまさに圧巻。手に汗握る面白さでした。法廷は人生だ。エンターテイメントだ。弁護士カッケー! ああ、俺も普通免許のついでに司法試験も受けとけばよかったな、と思ったものです。

 そんなわけで読みました、今回の課題本『自白』。

 グリシャム作品なのに、本作の主人公が牧師のキースというのは意外でしたね。無実の青年の死刑執行間近に真犯人を知ってしまった(と確信している)キースは、仮釈放中の罪人を州外に出してはいけないという法を破り、真犯人(に違いない)ボイエットとテキサスを目指します。彼らは死刑執行を中止させることができるのか。

 そんなこんなで、この連載も残すところ今回を含めてあと2回。名残惜しいような、一刻も早くゴールしたいような。始めたころは「この連載が終わることにはイッパシのミステリー通になっているハズ」とか言っていたような気もするけど、何かの間違いかな?

 

畠山:「ミステリー通」の定義はさておき、それでも今頃は、翻訳ミステリーについて物知り顔で語れるようになってると想像してたんです。ところが現実には、先月読んだ本の内容すら覚えていない有り様で、ミステリー通なんてどの口が言ってんだって話ですよ。忘却力に磨きをかけてどうする。

 あ、なんか情けない気分になってきたので、すっと切り替えてまいりましょう。

 さて本日のお題、『自白』。勇気を持って「自白」しますが、ジョン・グリシャムって映画で満足しちゃってたんです。加藤さんが紹介していたタイトルは大体観たんじゃないかしら。あ、「レインメーカー」(原作『原告側弁護人』)も面白かったなぁ。でもそれでグリシャムを知った気になってた私は、大間違いのすっとこどっこいでした。ごめんなさい。

 第一部は、牧師のキースが、無実の青年を救うべく行動を起こすカンザスパートと、少女殺害事件の発生から犯人とされたドンテ・ドラムの現在に至るまでを、関係者の性格や人生を織り込みながら語られていくテキサスパートで構成されています。ドンテの弁護団とキースの話が早く結びついてくれないかと、じれったくて堪らない。

 そして死刑執行当日の模様が描かれるのが第二部。真犯人の存在を知ったドンテの弁護団の奮闘、刑の執行中止を求める市民の抵抗、宗教施設に火が放たれ人種間闘争が激化するスローンの街。スピード感と迫力と焦る気持ちで、読んでるだけで疲労困憊です。

 で、ドンテが結局どうなるかでお話は終わりだと思ってたのですよ。甘かった。

 第三部は後日談ですが、オマケの話じゃないすよー。まさにこの第三部こそが、本作の最大の読みどころ。人種差別や死刑制度などの社会問題について、さぁ貴方はどう考える? と突きつけられます。作者の強い怒りを行間から感じ、逃げることも顔を背けることも許されない気持ちになりました。圧倒されましたよ、マジで。

 そういえばこの作品は法廷シーンがほぼないんですよね。ちょっと意外ではあったけれど、法廷の丁々発止がないからといってリーガルものとしての物足りさを感じることは全くなかったです。さすが巨匠だなぁ。

 

加藤:そうそう、「冤罪」が重要なテーマで弁護士が活躍する話なのに、というかグリシャム作品なのに、法廷シーンが無いっていうのも本作の特徴だよね。でも、なんてったって、畠山さんも書いているけど、本作の最大の特徴であり白眉は、「無罪の黒人青年の死刑執行を阻止できるのか」がクライマックスではないところだと思うのです。

 僕もこれには驚きました。

キース牧師と弁護士ロビーの活躍により、死刑執行はギリギリで回避される。でも、何の非もなかった被告と家族たちの失われた9年間が戻ることはない。ここが南部テキサスで、被告が黒人だったことと冤罪は無縁なのだろうか。そんな、大団円とは程遠い苦い後味を残して物語は終わる……と、そんなエンディングはまあまあ容易に想像できると思うのです。

 しかーし! そんなふうに終わらないのがこの本の凄いところ。

 もうこれは読んでもらうしかないんだけど、もしかしたらここからが本番。まさに大怪獣のあとしまつ。裁判そのものが間違いだったことが分かったあと、人々はその事実にどう向き合うのか。何事もなかったように振舞う人、逃げる人、開き直る人、自分も騙されていたと被害者ぶる人……。タイムリミットサスペンスとして突っ走ってきた話が、いきなりドキュメンタリータッチにシフトチェンジするのが凄かったです。

 さまざまな問題を突きつけて、あとは読者それぞれに考えさせるというエンディングでもよかったハズなのに、そうはしなかったグリシャム氏。おそらくは死刑廃止論者であり人種差別を心から憎む彼の、もう許さん、こんな理不尽は絶対許さん、俺は絶対許さない! という魂の叫びが聞こえてくるようでした。

 これを読んだ今でも、死刑は必要なのかどうなのか結論が出ない僕ですが、心に強く訴えかけられるものはありました。

 ところで、本作の原題は『The Confession』なので、たぶんダブル・ミーニングですよね。「自白」であり、カトリックの「告解」でもある。

 守秘義務と正義の壁に挟まれ苦悩する牧師の話は、それほど珍しくない気もするけど、本作はそんな読者を唸らせる仕掛けもちゃんと用意しているのも心憎かったなあ。

 畠山さんは、どんなところが印象に残った?

 

畠山:登場人物のリアルさかな。特にダブル主役と言えるキース牧師と弁護士のロビー・フラック。二人ともやってることはヒーローだけれど、決して「高潔」「人格者」とは言い切れない、とても人間臭い部分があるんです。

 キースは法に背いていることを承知で、サイコパスみたいな男と行動を共にします。実はその間、心の中ではぼやきっぱなし。疲れた、もうやだ帰りたい、ボイエットのクソ野郎!……牧師さんでも“クソ”って言うんだ……。死刑執行を待つ身のドンテに聖職者として面会してほしい頼まれた時に、「なんで俺?」とめっちゃ腰が引けてる様子なんて、むしろ親近感が湧きますね。

 ロビー・フラックは、保守的なテキサスで人権問題を扱う肝の据わった“熱い”弁護士です。ドンテとその家族への情け深い態度は特筆すべきものがありますが、同時に短気で、毀誉褒貶が激しくて、功名心も強い。金の匂いにも敏感。好きになれそうな、なれなさそうな、いい人のような、そうでもないような、なんともユニークな人です。多分彼は命が尽きるまで猟犬のように世の不条理に噛みついていくんだろうなぁ。

 そしてドンテの母ロバータと、被害少女の母リーヴァの二人の「母親」にも感じるものがたくさんありました。

 息子の無実を揺るぎなく信じながらも、死刑執行という現実を受け入れざるをえなく、なんとか気丈であろうとするロバータ。刑の執行には立ち会わないでほしいと息子に言われても、「生まれる時にそばにいたのだから、死ぬときもそばにいる」と。もうもう涙なくしては読めない。助けてーー! 早くドンテを助けてーーー!

 反対に、読んでいて少し居心地の悪さを感じてしまうのがリーヴァの行動です。彼女は娘を失ってから積極的にメディアに露出します。言葉は悪いですが「同情してもらいたい」オーラ全開。どうやら夫も辟易している様子です。でもでもでもですよ、自分の娘が強姦殺人の犠牲になり、葬るべき遺体も見つからないとあれば、平気でいられるわけがない。その喪失感、怒り、悲しみ、憎しみの受け皿になるものが必要だったのでしょうね。彼女を非難することは私にはできません。

 公権力が書いたシナリオはなにがあっても変更されず、そこに名前が書かれたが最後、あとはベルトコンベアーで運ばれるかのように収監、死刑まで物事が進んでしまう恐ろしさをまざまざと見せつけた本作品。人権を守るってどういうことなのか、法律や宗教はなんのためにあるのか、それらを司る人々はどうあるべきなのか、たくさんの問いが投げかけられます。冒頭で加藤さんが触れていましたが、アメリカでは人工妊娠中絶を巡って大きな動きが生まれているそんな今だからこそ、『自白』はたくさんの人に読んでもらいたい一冊です。(新潮社さん、復刊ヨロシクです!)

 おっと忘れちゃいけない。ジョン・グリシャムといえばこの方。多くのグリシャム作品を訳していらっしゃる白石朗さんが丁寧に解説をして下さっているコチラもぜひお読みくださいね。

https://honyakumystery.jp/1316038591

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 この数十年のミステリー翻訳史を見ていく中でリーガル・スリラーの流れは大きなものがあります。法廷ミステリーと広義に言うよりもリーガル・スリラーの名称がしっくりくるのは、法知識に関する議論よりもスリラーとしての骨組みが優先される作風だからでしょう。人間の運命を左右する要素にはさまざまなものがありますが、その中でも法とその解釈は、誰かの人生を変える力を持つという点で他にない強いものです。

 ジョン・グリシャムは『評決のとき』『法律事務所』『ペリカン文書』といった型通りのリーガル・スリラーで作家としての第一歩を踏み出しました。次第に「法と人」という観点から作品を眺めるようになり、1996年の『陪審評決』では陪審法廷というシステム自体が抱える問題を描くことが主題となりました。個々の人間ドラマを描くことから始めた作家は、そこからやや視点を高く取り、法と国家、法と犯罪というように、法律家ならではの着眼点から規模の大きな物語を書くようになっていきます。たとえば国際謀略小説の規模で描かれる2005年の『大統領特赦』、犯罪小説の枠組みを持つ2011年の『巨大訴訟』などは、従来のリーガル・スリラーの概念を覆す作品でした。こうした形でジャンルの垣根を超えたブロック・バスターとしてグリシャムは活動を続けています。作品数では劣りますが、その業績はホラーにおけるスティーヴン・キングに似たものがあります。

 グリシャムは労働者階級の出身で、少年時代にはアーカンソーからミシシッピを転々として育っています。その記憶があるためか、都市よりも雛の州への思い入れが強いようです。アパラチア山脈の僻村を舞台にした2014年の『汚染訴訟』などはその一例。おそらく彼が目指しているのは、作品全体で〈偉大なるアメリカ小説〉を書くことでしょう。分断が進み、都市部と非都市部の利害対立が進む現代のアメリカにおいては、グリシャムの視点はますます重要性が増していくはずです。

さて、次回はいよいよ最終回。しめくくりの作品となるのはデイヴィッド・ゴードン『二流小説家』ですね。最後の一作、期待しております。

 

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加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato


畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 


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