読者賞だより34通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『見習い警官殺し』(執筆者・大木雄一郎)
シューヴァル&ヴァールーのマルティン・ベックシリーズは、警官たちの事件を追う様子だけではなく、その日常や私生活を描くことによって、警察組織を大きな視点で描き上げることに成功したシリーズだといえる。展開目まぐるしい現代の警察小説に慣れた読者は、シリーズ第一作の『ロセアンナ』を読むと衝撃を受けるだろう。
とにかく事件が解決しないし、警官たちは週末になるとふつうに休みを取ったりする。事件の捜査中にもかかわらず、である。事件が解決へと近づくに従って高まる高揚感を期待している読者にとって、これはじれったく感じるだろうし、そもそもなんで休むの? と首をひねりたくなる。だが、たとえ警官といえども誰も彼もが事件の捜査に奔走したり証拠品の鑑定に勤しんでいるわけではない。もっぱら捜査以外の業務に従事する人もいれば休暇を取る警官だっている。これは私の本職である医療現場にしても同じことで、たとえば救急病院だと常に急患や重症患者と相対している印象が強いかもしれない。しかし実際には、急患対応している同僚を後目に書類を作成したりとか、ふつうの仕事をこなしていることのほうが多く、医療ドラマでよく見る切迫した場面がしょっちゅう繰り広げられているわけではない。シューヴァル&ヴァールーは、事件だけを追うのではなく、少し視線をずらして組織内の人々の動きにも注目することであのシリーズをを作り上げた。だからこそ私たちは、外から眺めただけではけっして知ることのできない警官たちの群像劇としてこのシリーズを読むことができたのである。
と前置きしておいて、今回ご紹介するのは、レイフ・GW・ペーション『見習い警官殺し』(久山葉子訳 創元推理文庫)。献辞にあるとおり、本作は、マルティン・ベックシリーズ生みの親、マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーに捧げられている。
[amazonjs asin="4488192068" locale="JP" tmpl="Small" title="見習い警官殺し 上 (創元推理文庫)"][amazonjs asin="B082XR2TGG" locale="JP" tmpl="Small" title="見習い警官殺し 下 〈ベックストレーム警部シリーズ〉 (創元推理文庫)"]
ストックホルムから南西へおよそ400km離れた地方都市ヴェクシェーで起こった強姦殺人。被害者は警察大学に通っている学生だった。県警本部長は、夏の休暇の時期で人手が足りないことなどを理由に、国家犯罪捜査局に応援を要請した。本部長と旧知の仲である長官は殺人捜査特別班の派遣を約束し、すぐさま6名のチームが編成された。被害者の当日の足取りは明らかになっていて、かつ現場には遺留品も残されていたため、事件の解決にはそう時間がかかることはないと思われていたのだが、チームを率いるのが“かの”エーヴェルト・ベックストレームだったため、捜査は迷走に迷走を重ねていく。
エーヴェルト・ベックストレームとはどのような人物なのか。国家犯罪捜査局殺人捜査特別班に所属し階級は警部。酒と脂質の多い食事を好み、事件捜査に関するあらゆる手間を部下に押しつけ、自分は極力なにもせずに酒を飲むことばかり考えている。でありながら、自分のことを最高の警官だと信じており、たとえ同僚であろうと、いや、上司でさえも他の警官はすべて無能とみなし、特にヴェクシェーのような田舎の警官など無能中の無能扱い。捜査線上に浮かんだ外国人や有色人種はまず犯人と疑ってかかるほどの強烈な差別主義者であり、ベックストレームを知る者はみな、彼こそが「無能オブ無能」だと思っていて、彼に関わることを極力避けようとする。
ヴェクシェーの警官たちにとっても、ベックストレームの言動は異様に見えたはずなのだが、精鋭ぞろいの国家犯罪捜査局から派遣されたチームへの期待がその異様さを見事に中和してしまい、捜査のほうは不思議なくらい彼の思惑どおりに進んでいく。また、夏期休暇中の人材不足はヴェクシェーだけの問題ではなくストックホルムでも同様で、ベックストレームとともに集められた5人の捜査官もどこかパッとしない。かくして事件は、解決への糸口がまったく見つからず、ただ時間だけが過ぎ去っていくという状況に陥るのである。
女子学生が母親のマンションで強姦されたあげく殺害されたという、とくに入り組んだ要素もなさそうな事件に、なぜこれだけ時間がかかるのか。メディアは、殺人鬼がまだつかまっていないという不安と、捜査に対する不信感を煽り始める。特に、ある捜査方針に対して強い批判が巻き起こり、その声はすでにストックホルムにまで届いていた。ベックストレームの知らぬところで事態は最悪に近い状態となりつつあったが、ここで登場するのが「角の向こうを見通せる男」の異名を持つ、ラーシュ・マッティン・ヨハンソンである。前任者に変わり、国家犯罪捜査局長官に就任したばかりのヨハンソンは、遅々として進まないヴェクシェーの事件に対して、二人の優秀な捜査官アンナ・ホルトとリサ・マッテイを送り込むことを決めたのである。
著者の初邦訳作品は、2018年に同じく創元推理文庫から刊行された『許されざる者』(久山葉子訳)だが、その主人公であるラーシュ・マッティン・ヨハンソンが本作でも登場する。アンナ・ホルト、リサ・マッテイも同じく再登場だ。逆に、ベックストレームも『許されざる者』に登場しており、つまりこの2作品は地続きの物語だということになる。スウェーデンでは本作が『許されざる者』に先んじて刊行されているため時系列的には逆になってしまうが、正編続編という関係性ではないのでどちらから読んでもまったくは問題ない。
はじめに引き合いに出したマルティン・ベックシリーズでは、シリーズ10作品をとおして、社会情勢の変化やそれにともなう警察組織の変遷も交えながら、マルティン・ベックを中心としたストックホルム警察で働く警官たちの群像劇を作り上げた。それに対してペーションは、ヨハンソンというヒーローとベックストレームというアンチヒーローをそれぞれ別のシリーズで主人公に置き、シリーズ間に関係性をもたせた。また、『許されざる者』において、2010年の殺人事件における時効撤廃という出来事を取り入れたり、1986年の首相暗殺事件を作中に絡めたり(未邦訳作品)といった手法も、シューヴァル&ヴァールーが作り上げたスタイルを更に押し広げようとしているように見える。
本国では1970年代から作品を刊行し続け、スウェーデン推理作家アカデミーの最優秀賞に三度輝いたという、スウェーデンを代表するといっても過言ではない作家の作品が、ようやく日本でも読めるようになったということをまず喜びたい。そしてこれから先も引き続き刊行されることを願っている。
まだこの作家の作品に触れていないのであれば、ぜひ本作か『許されざる者』を。そのあとは、この1月に刊行されたばかりの『平凡すぎる犠牲者』へと読み進まれたい。
ついでながら申し添えておくと、先に書いたようにベックストレームはいわゆる差別主義者というキャラクターであるがゆえ、読みながらつい眉を顰めてしまうような差別発言が頻発する。この点に不快感を抱く読者もおられると思うが、これは著者がそういう思想を持っているということではけっしてなく、むしろ差別主義に対するアンチテーゼであると理解されたい。
大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。
[amazonjs asin="B078NRRZ4X" locale="JP" tmpl="Small" title="許されざる者 (創元推理文庫)"][amazonjs asin="B08QZFMSKJ" locale="JP" tmpl="Small" title="平凡すぎる犠牲者 〈ベックストレーム警部シリーズ〉 (創元推理文庫)"][amazonjs asin="B00NPOEP6S" locale="JP" tmpl="Small" title="刑事マルティン・ベック ロセアンナ (角川文庫)"]
0コメント