読者賞だより49通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『読書セラピスト』(執筆者・大木雄一郎)

 普段、趣味として本を読んでいる私たちは、気分で読むものを選ぶことがある。

「ミステリー小説を読みかけているんだけど、今日はあんまり気分が乗らないのでエッセイでも読んでみようかな」という感じで、そのときの状態によって読む本を変えてみたという経験は、読書好きの人なら割とあるだろう。でも実際には「落ち込んでるから気分を上げたい」とか「くさくさしているから気晴らしに」などと言いながら、多くの人は気分によって本を選ぶという行為そのものに、それほどかっちりした効能を求めているわけではないのが普通で、ましてや人に勧めるとなると躊躇するのではないか。読書という行為自体が気晴らしになるというのはあるにしても、どんな作品を読めば気晴らしになるかなんて人によってさまざまだし、他人が安易に言えることでもない。

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 ファビオ・スタッシ『読書セラピスト』(橋本勝男訳 東京創元社)は、国語教師の道を閉ざされ失業の憂き目に遭い、それでもなんとか稼がなければとマンションの一室に、それこそ急場しのぎのような形で読書セラピーの看板を掲げた男が主人公の、ちょっと変わったミステリーである。

 読書セラピストという職業があるということを、私は寡聞にして知らなかったのだが、調べてみると政府公認で読書療法の研究を進めている国や、セラピストが国家資格になっている国があるとのことで、海外においてはこういった療法に対する認識が高いのだという印象を受ける。クライアントの悩みや問題点を聴き取って、その状況を改善するにふさわしい書物を処方するというのがセラピストの役割なのだが、その処方が必ずしもクライアントにフィットするとは限らないし、病気に対する治療とは異なり、同じ悩みに対してもセラピストが変われば処方、すなわち選書が違ってくることもあるだろう。そういう難しさがあるのだということは、本作の主人公ヴィンチェ・コルソの処方もまた、はねつけられたり受け入れられたりと、クライアントによってその反応がさまざまであるということからも窺える。

 ヴィンチェはある日、警官の来訪を受け、マンションの階下に住む女性が失踪したという話を聞く。パロディ夫人という名のその女性を、ヴィンチェは二度ほど見かけたことがあり、そのときの様子を警官に話すのだが、そもそも彼自身は、上の階に住んでいるということ以外その女性と関わりがなく、事件についてはなにも知らなかった。しかしある日、マンションの近所にある書店主と仲良くなったヴィンチェは、彼から失踪した女性が読書家であること、そして女性がその書店から借り出していた本のリストが存在することを聞き、事件に関心を持ち始める。

 ミステリー読者としては、ここでヴィンチェに素人探偵さながらの捜査を期待するわけだが、実際に彼がやったのは、警察から妻を殺したのではと疑われている、失踪した女性の夫カルロに話を聞きに行ったこと、マンションの管理人であるガブリエルを尾行したこと、そしてパロディ夫人の残したリストを解読しようとしたことくらいで、そのリストになんらかの意図があると気づいたヴィンチェは、結局のところ失踪の謎を見事に解き明かすのだが、捜査らしい描写があまり出てこないため、結論に至る過程はなんとなくしかわからない。物語の多くは、ヴィンチェとクライアントたちが紡ぎ出すエピソードやヴィンチェ自身の文学的思索に費やされており、謎解きにかかる部分は幕間に差し込まれる程度しか描かれないのである。女性の失踪というミステリーらしい謎を提示しておきながら、物語そのものは、世界の有名無名な作家たちの作品を数多く引用しつつ、クライアントや数少ない友人たちとのやりとりを展開していくという形で、少しずつ動いていくのである。

 ヴィンチェが処方した書籍の一部をここで紹介しておく。これらの書籍が、どんな問題を抱えたクライアントに処方されたのか、そしてクライアントたちがその処方に対してどのような反応を示したのかというのも、本作を読む楽しみのひとつとなるはずである。

  • アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』

    ウォルター・テヴィス『ハスラー』

    スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩』

    小川糸『あつあつを召し上がれ』

 そして失踪したパロディ夫人が残したリストに記されていた書籍は以下の12冊。このリストが事件の真相どう関わってくるのか、それは実際に本作を読んで確認していただきたい。

  • ポール・オースター『オラクル・ナイト』

    ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』

    レイモンド・チャンドラー『長い別れ』

    シャーウッド・アンダーソン『手』

    フィリップ・K・ディック『敵地で』

    ポール・オースター『闇の中の男』

    ジョン・アップダイク『走れウサギ』

    チャールズ・ブコウスキー『ポスト・オフィス』

    ジョン・ファンテ『塵に訊け!』

    ナサニエル・ホーソーン『ウェイクフィールド』

    デヴィッド・フォスター・ウォレス『もうしないだろう愉快なこと』

    モーリー・キャラハン『誠実な妻』

 付け足しておくならば、本作を読むにあたってこれらの作品に関する知識を持っている必要はない。なぜなら、作中でヴィンチェがこれらの作品の多くに言及するからである。しかしながら、ホーソーン『ウェイクフィールド』についてはヴィンチェと書店主による興味深いやりとりが繰り広げられるため、事前に読んでおくとおもしろさが増すはずだし、本作を読み解くヒントにもなるだろう。また、巻末には取り上げられた作品の一覧が添えられているので、ヴィンチェの語りによって興味をそそられた作品があれば、この一覧がおおいに参考になると思う。

 クライアントたちやヴィンチェ自身の人生が、数多く紹介される小説に含まれる意味と重なっていくように描き出される様は、あたかもこちらがセラピーを受けているかのような印象さえ覚える。そのうえに女性の失踪という謎が全編に覆い被さっているわけで、そう考えるとこれは実にたくらみに満ちた小説だということが言えるのではなかろうか。本好きであればきっと楽しめる作品だ。










大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。


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パロディ夫人が残したリストの12冊

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