読者賞だより46通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『夜の獣、夢の少年』(執筆者・大木雄一郎)

 本当にすばらしい作品は、ジャンルの垣根を容易に超えてしまう。そんな言わずもがなのようなことを実感したのは、ヤンシィー・チュウ『夜の獣、夢の少年』(圷香織訳 創元推理文庫)を読んだからである。上巻帯に「東洋幻想譚」とあるため、ミステリー好きにはひょっとしたら見逃されてしまっているかもしれない。しかし本作は、ファンタジーでありながら一線級のミステリーでもあるという、とても贅沢な作品なのである。

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 舞台は1930年ごろの半島マレーシア。当時はイギリスの植民地でマラヤと呼ばれていた。物語はふたりの人物を中心に動いていく。

 片方の手の指を1本失っている老医師は、11歳の少年レンに、自分が死んだら49日を迎える前までに、昔なくした指を探し出し墓に埋めるよう言い残す。レンはそれまで、この老医師マクファーレンに仕えていたのだが、主が天に召されたため、失った指を探し出すという遺言を果たすべく、新しい主となるウィリアム医師の元へと向かう。やがてレンは、このウィリアムがマクファーレンの指を切り取ったのだということを知る。このレンを中心とした物語がひとつの軸となる。

 もうひとつの軸は、親元を出て住み込みで仕立屋見習いをしているジーリンを中心とする物語である。母親の作った借金の返済に充てるべく、内緒でダンスホールのアルバイトをしているジーリンは、ある日一緒に踊った男のポケットに入っていたガラスの小瓶を偶然に抜き取ってしまう。そこには切り取られた人間の指が塩漬けになって入っていた。驚くとともに持ち主に返さねばと思うジーリンだったが、そのたった2日後、男が急死したことを知らされる。この小瓶を手元に置いたままにはしておけない。なんとか遺族に返却しようと思った彼女は、意を決して血の繋がらないきょうだい(両親がそれぞれ再婚同士であり、彼らは互いの連れ子であったため)であるシンに相談をする。

 読者には、レンの探している指こそジーリンが偶然手に入れたものであることはすぐにわかるし、やがてこの二人は出会うのだということも想像するに容易ではあるのだが、そのときはなかなか訪れず、それぞれの周りで次々に起こる不審死事件に翻弄され続ける。

 切り落とされた指をめぐる謎と相次ぐ不審死が物語を牽引していく一方で、この物語に強い彩りを与えている要素が二つある。ひとつは原題にもなっている「虎」である。虎は、古来中国やアジアでは崇拝の対象ともされていたが、一方では人食いなどといった危険、残酷な生物というイメージもあり、人食い虎が出現したとなればしばしば虎狩りもおこなわれた。本作では、人にも虎にもなるという「人虎」の伝説が、失われた指の謎と相次ぐ不審死に大きく影を落としていくことになる。

 もうひとつは儒教で説かれる五つの徳目である「五常」である。五常は仁・義・礼・智・信からなり、五倫と並んで儒教の根本的教義とされているのだが、この物語の登場人物たちは、それぞれ五常のうちの一文字を名前に持っている。ジーリン(ジー=智)、レン(仁)、シン(信)、そしてすでに亡くなっているレンの双子の弟イー(義)。彼らがどのように繋がっていて、この繋がりが物語にどう影響を及ぼしていくのか、また、ただひとつ残った「礼」を名に持つ人物がどのような役割を果たしているのか、というのも大きな読みどころとなっている。

 また、1930年代当時のマラヤの雰囲気というのも、この物語に豊かな広がりを与えている。作中に出てくるだけでもさまざまな人種がいる。マレー人はもちろん、中国人やタミル人などの移民、そして本国から流れに流れて最果ての地にたどりついたイギリス人たち。立場的に優位なイギリス人たちが西洋風のコミュニティを築き上げ、そこに仕える移民や現地の人々がいる。長い年月を彼の地で過ごすことで、西洋人にとっては本来、迷信だと切り捨てていたはずのさまざまな伝説が、次第に彼らの心身を捉えていく。その様子が、本作における大きな謎に幻想的な色合いを添えている。この辺りのさじ加減は実に見事だ。

 たった一本の指に大きく翻弄されつつも、少しずつ真相へと近づくジーリンレン。すべてが明らかになったのち、彼らにはどのような道が開けていくのか。気になった人はぜひ手に取るべきだ。上下巻ではあるけれどもそれぞれ300ページほど。ふだんから500~600ページほどもある長大な海外ミステリー作品に慣れている方なら問題にならない分量だ。長いなあと感じる人もまずは上巻を開いてみてほしい。あれよあれよといううちに物語の中に引き込まれ、いつのまにか下巻まで一気に読み通せてしまうはずだ。とにかくひとりでも多くの人に、この生き生きとした筆致で描かれた豊かな物語を堪能していただきたい。

 著者のヤンシィー・チュウは、中国系のマレーシア人とのこと。本邦初紹介となった本作は著者の第2長編だが、デビュー作も『彼岸の花嫁』というタイトルで来月創元推理文庫から刊行予定となっている。

 第10回となる翻訳ミステリー読者賞の要項を、読書会のサイトにて公開しております。2021年に刊行された翻訳ミステリー小説のなかから、「これぞイチオシ!」と思う作品をひとつだけ投票していただきます。どなたでも参加でき、読んだ作品数などもまったく問いません。対象作品をたった一作でも読んでいれば、誰でも堂々と投票できます。ぜひあなたの2021年イチオシの作品を教えてください。投票期間は3月25日からの一週間。投票フォームは、時期が近くなりましたらあらためてお知らせいたします。この「読者賞だより」の次回更新がちょうど投票開始日になると思いますので(たぶん)、そちらでもしっかり告知させていただきます。

 みなさまの熱い投票を、心からお待ちしております!

 










大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。

 

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