読者賞だより59通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『いずれはすべて海の中に』『彼女は水曜日に死んだ』(執筆者・大木雄一郎)

 今回はまず宣伝から。

 今月二一日よりスタートしております、翻訳ミステリー読者賞の投票受付は本日が最終日です。すでにたくさんの投票をいただいております。本当にありがとうございます。あー忘れてた! という方もまだ大丈夫。以下のフォームから投票をお願いいたします! 本日二四時まで受付中です!


 結果の発表は、四月一六日一四時より、YouTube越前敏弥チャンネルにてライブ配信いたします(アーカイブ配信もあります)。配信URLは↓です。


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 ということで本題へ。今回は短編集を取り上げます。

[amazonjs asin="4801931170" locale="JP" tmpl="Small" title="いずれすべては海の中に (竹書房文庫 ぴ 2-2)"] サラ・ピンスカーは、二〇二一年に長編『新しい時代への歌』(村山美雪訳 竹書房文庫)で初めて日本に紹介された作家です。近未来音楽SFとでもいうべきこの作品は、テロと感染症に見舞われて閉塞し、人が直に接触する機会が失われた世界において、ライヴの熱狂を求める人々を描いてネビュラ賞を受賞しました。続いて昨年刊行されたのが、今回取り上げる『いずれはすべて海の中に』(市田泉訳 同)です。十三の作品からなるこの短編集、本国では『新しい時代への歌』よりも先に刊行されているのですが、こちらの短編集には『新しい時代への歌』の元となる作品が収録されているため、日本では「元になった作品をあとで読む」というちょっとした逆転現象が起こっています(といっても未読の方にはあんまり関係はないですね)。

 この短編集の特色をひとことで言うと、「説明されない部分」がうまく活かされた作品集、ということになるでしょうか。たとえば冒頭の「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、事故で右腕を失った青年に取り付けられたロボット義手が、自身は道路であると思い込んでいるという設定で、義手の思念が青年の意識のなかに徐々に侵入していく、という作品なのですが、これだけ書いてもなんのことだかよくわからないですよね。最終的に、この状況はちゃんと解決するのですが、自分の意識に義手の「自分は道路だ」という記憶や意思が入り込んでくるという、わけのわからない感覚を詩情たっぷりに描いているところがすばらしいんです。

 あるいは「イッカク」という作品。「亡くなった母の遺品である車をボルティモアからサクラメントまで運転していく」という仕事を請け負った女性が見た「車」はなんとクジラで、驚きつつもとりあえず乗り込んで運転を始めるうちに額に角がついているのを見つけ、ああこれはクジラじゃなくてイッカクだというわけで、依頼人とふたりイッカクの形をした車でサクラメントを目指す、というロードノベルなんです(なんだそりゃとお思いでしょうが、そうとしか言いようがないんです)。これまたなぜイッカクなのか、というのはわからないまま、突然イッカクが登場したのに驚いている……割にはすんなり受け入れている登場人物の様子に、こちらもつい引き込まれて読んでしまいますし、そんなことあるはずないのにイッカクが生きているような気さえしてくるんです。そこかしこに散らばるユーモアが、最後に明らかになる亡くなった母の過去に独特な情感を添えている、とてもいい作品です。

 そして掉尾を飾る「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」は、並行世界に存在する大勢のサラ・ピンスカーが一堂に会する孤島で起こった殺人事件に、とあるサラ・ピンスカーが挑むという、ミステリファンにもおすすめのなんともチャレンジングな一作なんです。タイトルからもわかるとおり、クリスティのあの作品にちなんでいるわけですが、これは原題がかなりイカしてますので、ぜひ直接手に取ってみてください。

 著者が音楽活動をしているということもあり、音楽がモチーフとなっている作品が多く見受けられますが、その他にも、道路や旅といったテーマも多く、それぞれの作品から感じられる叙情性もこの辺りに理由があるのかなという気がします。ジャンルとしてはSFになるわけですが、SF味はそれほど強くありませんので、多くの方に楽しんでもらえる短編集だと思っています。

[amazonjs asin="4488011195" locale="JP" tmpl="Small" title="彼女は水曜日に死んだ"] 続いて紹介するのは、リチャード・ラング『彼女は水曜日に死んだ』(吉野弘人訳 東京創元社)です。こちらは作品のどこかしらに「犯罪」という要素が含まれている十編からなる短編集です。読んでみれば、犯罪小説とまでは言い切れない、とある人々の日常を描いた短編がほとんどなのですが、そんな何気ない日常を送る人々のなかにも、犯罪というものはごく自然に潜んでいる、つまりこれを読んでいる私たちにとってもそうなのだということを強く思わせるという意味では、まごうことなき犯罪小説集だと言えるでしょう。

 そして本作も(多少強引であることは承知のうえであえて言いますと)「説明されないところで物語る」という意味において、サラ・ピンスカーと共通するところがあると思います。が、ここで説明されないのは、登場人物(ほとんどが落伍者であり、中年男性)の悲哀、孤独、焦燥、そして悔恨です。いや、正確には、直接的な説明を避けつつ、しかしそれらは確実に、綴られる言葉の裏側に存在しているといえばいいでしょうか。

 たとえば冒頭の「悪いときばかりじゃない」では、釣り合わない結婚をした男の鬱屈した様子が描かれます。裕福な暮らしをしている妻の両親が遊びに来た日、義父は男を散歩に誘い出します。その道中に起こった出来事によって、男の鬱屈はそれまでと違った形で表出することになるのです。その変化を著者は具体的に書きません。起こったことによって引き出される行動、それだけで男の心中を確実に描き出しています。

 あるいは「万馬券クラブ」における男の行動。ポーカー賭博で拘置所に入れられていた男が、出所してすぐバーで引っ掛けた女性と初デートで向かったのは競馬場でした。なかなか馬券を的中できない男を尻目に、女性のほうはビギナーズラックよろしくいくつかの馬券を的中させるのです。その当たり馬券を払い戻しに向かった先で、男は愚行としかいいようのない行動に出ます。その様子を著者は克明に描くのですが、その行動原理についてはきちんと説明しない。でも、読めばそれがわかるのです。

 また「聖書外典」では小さな宝石商で警備員をして糊口をしのいでいる男の日常が描かれます。かつて犯罪に手を染め、すべてを失った過去があるその男は、過去を忘れるためにメキシコを目指していて、そのために安ホテルに住み、こつこつと金を貯めていたのですが、あるとき宝石商が強盗に狙われているということを知ってしまいます。強盗を計画しているのが顔見知りだということもあり、男はその事実をひとり抱えたまま過ごすことになります。宝石商のボス、強盗を目論む顔見知りなど、男の周りには常に誰かがいるわけですが、しかし男は孤独です。そういう描き方をされています。なぜそうなのかは、これもまたはっきりとは書かれません。しかし、一読して意味のわかりにくい「聖書外典」というタイトルの意味に気づくとき、読者には男の孤独がこれ以上ないほどわかってしまうのです。

 思い通りにならない人生を、迷いや孤独と寄り添いながら、なんとかやり過ごしていこうとする人たちを描く十編の物語。短いながらどれも強い余韻を残すものばかりです。好みを挙げるとすれば、上に上げた「聖書外典」と「甘いささやき」でしょうか。この二作、CWA のショートストーリーダガーに同時ノミネートされ、前者が受賞しています。

『いずれはすべて海の中に』と『彼女は水曜日に死んだ』、系統はまったく違いますが、いずれも二〇二二年を代表する短編集だと思います。まだの方はぜひ。強くオススメします!

 さて、繰り返しになりますが、翻訳ミステリー読者賞への投票は、本日いっぱいで締切です! 二〇二二年も、たくさんの翻訳ミステリー小説が刊行されました。まだまだ私たちが気づいていない名作傑作があるはずです。みんなで教え合いましょう! ぜひ、オススメの一作に票を投じていただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。










大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡読書会世話人兼読者賞の実行委員。今回の読者賞にもたくさんの投票をありがとうございました。4/16の結果発表イベントをお楽しみに!


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