第13回大阪読書会レポート『マナートの娘たち』(執筆者・信藤玲子)
2023年6月24日、『マナートの娘たち』を課題書として、大阪翻訳ミステリー読書会をオンラインにて開催いたしました。訳者の小竹由美子さんもゲストとしてご参加いただきました。
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シリア系アメリカ人である作者ディーマ・アルザヤットは、この本に収められた9つの短編で、分断や対立が交錯するアメリカの現実を鮮やかに切り取っています。
なかでも参加者のみなさんが圧倒されたと口を揃えて語ったのが、原書の表題作である「アリゲーター」。
1929年のフロリダで実際に起きたシリア人夫婦のリンチ事件を、さまざまな角度から描いた作品です。実際の新聞記事と架空の手紙やSNSのやりとりなどの組み合わせで構成されていて、それらを複眼的に読み解くことで事件の全貌があぶりだされるという仕掛けになっています。みなさんの感想は以下のとおりです。
1929年のフロリダで実際に起きたシリア人夫婦のリンチ事件を、さまざまな角度から描いた作品です。実際の新聞記事と架空の手紙やSNSのやりとりなどの組み合わせで構成されていて、それらを複眼的に読み解くことで事件の全貌があぶりだされるという仕掛けになっています。みなさんの感想は以下のとおりです。
- 物語より残酷なのはリアルに生活している人たちだと感じた
- 差別されている側も、自分たちよりさらに立場の弱い相手を差別している事 実を描いているのが印象に残った
- 新聞記事がコラージュされていて、ジェイムズ・エルロイを思い出した
- オーストラリアでは〈カンガルー対先住民〉という興業が行われていたが、この作品でフロリダでは〈アリゲーター対先住民〉が行われていたと知って、人間は考えることが一緒だなとつくづく思った
リンチをひきおこすのは人間の群集心理です。現在でもネットリンチがめずらしくないように、群集心理とは有象無象の〈声〉が寄せ集まったものです。作者が新聞記事やSNSなどの〈声〉をコラージュしてリンチ事件を描いたのは、形式上の目新しさを狙ったものではなく、事件を語るために必要な手段だったのだと納得しました。
原書のタイトルは『アリゲーター』ですが、訳書では『マナートの娘たち』がタイトルになったことについて小竹さんにお尋ねしたところ、この短編集全体の内容を象徴するタイトルであり、本の装丁にも呼応しているからとのことでした。
書店やネットで表紙をご覧になったかたはおわかりでしょうが、模様の奥におぼろげに見える娘の顔が、この本で描かれている複数の女性たち、あるいは現実を生きている無数の女性たちに重なります。
また、表紙の下の紙の美しさに感動したと語った参加者もいらっしゃいました。「マナートの娘たち」や「浄め(グスル)」では、語りに応じて文字の配置が変化し、細部までていねいに作られた本であることがよくわかります。
また、表紙の下の紙の美しさに感動したと語った参加者もいらっしゃいました。「マナートの娘たち」や「浄め(グスル)」では、語りに応じて文字の配置が変化し、細部までていねいに作られた本であることがよくわかります。
「アリゲーター」以外には、「懸命に努力するものだけが成功する」が、たびたび話題にのぼりました。映画業界における性被害の問題を正面から描いたこの短編には、
- 自分はここまでひどい状況を経験したわけではないけれど、主人公の気持ちがよくわかる
- ほかの短編とくらべると異色なまでにストレートに描かれているのは、作者がどうしても伝えたい思いがあるからだろう
など、たくさんの共感の声があがりました。
小竹さんのお話によると、この作品は本の刊行に先立って『紙魚の手帖』に掲載されたのですが、その旨を作者に報告したところ、「これはどうしても書きたかった」というコメントが返ってきたとのことで、作者にとっても思い入れの強い作品であるのはまちがいないようです。
小竹さんのお話によると、この作品は本の刊行に先立って『紙魚の手帖』に掲載されたのですが、その旨を作者に報告したところ、「これはどうしても書きたかった」というコメントが返ってきたとのことで、作者にとっても思い入れの強い作品であるのはまちがいないようです。
「懸命に努力するものだけが成功する」というタイトルを言い換えると、「成功しないものは懸命に努力していない」となります。差別や格差などの構造の問題が個人の努力や資質のせいにされてしまう現実を痛烈に示唆しています。
そのほかの短編についても、次のような感想が述べられました。
- 行方不明になる子どもを描いた「失踪」はユーモラスな味わいもあり、バーナード・マラマッドを思い出した
- 「わたしたちはかつてシリア人だった」の最後の一文が胸に刺さった
- 「わたしたちはかつてシリア人だった」から、いま話題になっている入管法改正の問題について考えさせられた
- 難しい短編もあったけれど、訳者あとがきの解説に助けられた
充実したあとがきに多くの参加者が感銘を受けたようでした。小竹さんに伺ったところ、日本人にはなじみの薄いアラブ文化が背景になっているため、ときにはコーランまで紐解きながら翻訳を進められたとのことです。それだけの深い理解があるからこそ、それぞれの短編を読み解く指針となるあとがきが書けるのだろうと感じ入りました。
あとがきにも書かれているように、作者のディーマ・アルザヤットはこの本がデビュー作であるため知名度はまだ低く、短編はどれも高い評価を得ているものの、大きな賞を受賞したわけではありません。しかし、BLMや #MeToo運動を経た現在、分断や差別を一面的ではなく多面的に描いたこれらの短編を読むと、これまで知らなかった新しい景色が見えてきます。興味のあるかたはぜひ手に取って、ひとつひとつじっくり味わってください。
さて、今回のオススメ本のテーマは〈人生最高の一編〉でした。お題を考えた私も後悔するほどの難題でしたが、選んでくれたみなさんもさんざん悩まれたのではないでしょうか?
以下がその一覧です。みなさんの渾身の思いが伝わってくるラインナップです。
以下がその一覧です。みなさんの渾身の思いが伝わってくるラインナップです。
- アーネスト・ヘミングウェイ「殺し屋たち」(柴田元幸訳)
(『こころ朗らなれ、誰もみな』所収 スイッチパブリッシング)
※複数の訳書がありますが、柴田さんの朗読に心を打たれたとのことでした。
また短編集としては、アフガニスタンの女性作家たちによる『わたしのペンは鳥の翼』(古屋美登里訳 小学館)をお勧めいただきました。 - グレッグ・ベア「姉妹たち」(山岸真訳)
(『タンジェント』所収 早川書房) - W・W・ジェイコブズ「猿の手」※複数訳書あり
- ジョージ・R.R.マーティン「タフの方舟」(酒井昭伸訳)
(連作短編『タフの方舟1 禍つ星』『タフの方舟2 天の果実』所収 早川書房) - ショーン・タン「壊れたおもちゃ」(岸本佐知子訳)
(『遠い町から来た話』所収 河出書房新社) - ジャック・リッチー「エミリーがいない」(好野理恵訳)
(『クライム・マシン』所収 河出書房新社) - ルシア・ベルリン「どうにもならない」(岸本佐知子訳)
(『掃除婦のための手引書』所収 講談社) - 原田マハ「新しい出口」
(『モダン』所収 文藝春秋) - 内田百閒「サラサーテの盤」
(『東京日記 他六篇』所収 岩波書店)
さて、次回の大阪翻訳ミステリー読書会は、10月14日(土)に対面で開催する予定です。2023年も折り返しを迎えましたが、下半期のイチオシの一冊を課題書に選びたいと考えております。読書会には興味あるけど怖くてよう行かん……というかたも、もちろん常連のかたも、どうぞお気軽にご参加ください。
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